小さく、軽く、少なく。

乳がんの治療と日常生活を綴っています。なんちゃってミニマリスト。

利便性へのこだわりの理由と家との相性

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おはようございます。

天気予報通り、雨の朝です。

1日おきに走っているのですが、「明日は走ろう」と思っていると5時過ぎに目が覚め、「明日は走らなくていいや」と思うと6時ごろに目が覚めます。

今日は6時に目が覚めました。

 

今の家に住んで3年半が経ちました。今のところ引越するつもりはありません。

でも、東日本大震災のあとは、2,3年で引越を繰り返していました。

年賀状をやり取りする相手からは、「次はどこに引っ越すの~?」と聞かれていました(笑)。

 

わたしは一貫して23区の東側に住み続けていますが、

・実家に帰るのに、東側の方がアクセスが良い

・会社が大体東側エリアにあった

・西側は家賃が高く、人も多くて苦手だった

からです。

 

実家は埼玉なのですが、通勤通学が結構大変でした。

小学校も中学校も学区の端で、学区外の学校の方が近いような場所でした。

中学校は、学区外の学校が川向うに見えていたのに遠方の学校に通っていました。

小学校は子供の足で徒歩約20分、中学校は多分徒歩40分(なので自転車通学)かかっていました。

大雪の日はきつかったなぁ。しかも担任に遅刻扱いされて激怒したことがあります(笑)。

 

高校は電車(トータル40分)を乗り継いで通っていましたが、そもそも最寄り駅まで

徒歩25分(自転車で10分)。

大学も大体似たような所要時間。

社会人になって、実家のある最寄り駅から都心の駅まで、電車に乗っている時間で1時間強(ずっとラッシュ)。

 

なので、ずっと親を恨んでいました(笑)。

親が今の家を買う時、営業マンに車で案内されて「あら近いじゃない」と思ってしまったようです。その時住んでいた家が今以上に不便な場所だったこともあって、相対的に近いと感じたようです。さらに二人とも車・バイク通勤だったため、駅からの距離や学校までの距離は殆ど考えていなかったようでした。

小学校も中学校も遠く、高校生以降は駅まで自転車で(雨の日は大変だし、夜は23時に閉まるところだったので残業をして帰るとタクシーでした)、いつもしんどかったです。

 

という時代を経てきたため、利便性にはこだわるようになりました。

ひとり暮らしを始めて計5か所住んでいますが、どこも会社までドアツードアで30分前後、一番近い時は20分でした。

 

それから、不動産の立地調査をずっとやっていたので、「便利な路線」というのもこだわっていました。

1都3県、乗ったことが無い路線は殆どなく、大抵の駅に降りたことがある、というくらいあちこち行ってました。

23区や横浜川崎、さいたま市なら、町名を聞くと大体の場所がわかるのが特技です(笑)。

結果として、西側は南北移動が不便なのでパス、JRは沿線人口が多く電車がよく止まるのでパス、東京メトロの東側エリアをぐるぐる回っている感じです。

 

家との相性のこと。

今の家に住む前は台東区(2か所)に住んでいました。

今思うと、その2か所目の家があまり良くなかった気がしています。

 

・引越してすぐ、水回りのトラブルが多発

・マンションの清掃のおばさまと仲良くなったが、実はあまり良くない人だった

・マンションの管理会社の担当者の対応がひどかった

・怪しいスピリチュアル団体に取り込まれそうになった

 あなたのステージを上げるために、セミナー(1日で10万以上)を受けなさいと言われて割と本気で悩みました(^^; 

・霊感のある人に、「この家の場所、あまりよくないね」と言われた

・近所を歩いていて突然怒鳴られたり、宗教のビラを渡されたりした(笑)

 

こうやって書き出すと、よく住んでいたなと改めて思いました。

こんなんでも、3年住んじゃいました。。笑

利便性と家賃は条件にハマっていたからです。

上野(美術館)も合羽橋道具街も近くて楽しかったです。

でも、この家のことを思い出すと、ちょっとどんよりとした気持ちになります。

うがった見方をすれば、この時期にがんの種を作ったのかなと思ったりします。

 

東日本大震災以降は引越マニアと化していましたが、今の家に来てそれがストンと落ち着きました。

多分、エリアとの相性も、家との相性も悪くないんだと思います。

 

家との相性って不思議だなぁと思います。