小さく、軽く、少なく。

乳がんの治療と日常生活を綴っています。なんちゃってミニマリスト。

死を意識したきっかけ

「死」について。

 

わたしは日頃から割と「死」を意識しているつもりなのですが(以前は、急に死んだ時に家族が困らないよう、友達連絡先リストとか、契約関係一覧みたいなのを書いてました 笑)、

乳がんになった時、今までいかに本気で死を考えていなかったかを思い知らされました。それくらい、がんはリアルな死を突き付けてきました。

 

でも、乳がんになるよりずっと前に、死を意識したきっかけがあります。

 

自分が物心ついてから覚えている身内の死と特に忘れられない人の死。

一番最初に覚えているのは、小学生の頃に、父方の祖母。

高校の入学式の前日に、岡田有希子。(強烈に覚えています)

社会人になってから、大学の同級生の自死。

最近は、父方の伯父伯母や、母方の祖父母。

でも、それでも死が少し遠くて、本当の意味での自分事としては捉えていませんでした。

 

わたしが自分事としての死を真剣に考えるようになったのは、父方の従姉が亡くなったことがきっかけです。

わたしが30代の頃で、彼女は49歳。遅い結婚をして、小さな女の子がいました。

わたしが小さい時は、彼女はわたしたち姉妹をとてもかわいがってくれて、ぬいぐるみを買ってきてくれたりしたことを覚えています。

ただ、わたしが大人になってからは疎遠になっていました。

 

従姉は、くも膜下出血で会社で倒れ、そのまま亡くなりました。

亡くなる前、ずっとひどい肩こりや頭痛に悩まされていて、マッサージなどに通っていたそうです。

多分、くも膜下出血の兆候だったんだと思います。

仕事はバリバリとこなし、タバコも酒もやる、豪快な人だったとのことです。

 

血が繋がっている従姉が49歳という若さで突然亡くなったことで、「死」が一気にリアルになりました。自分にも同じことが起きるかもしれないと。

 

彼女のお葬式で、生前の写真が何枚もスライドショーで流れました。

その時、ある写真を見てビックリ。

自分と体型がそっくりだったのです(笑)。

肩のライン、胸の形、身体の厚み。。

「あぁ、わたしって父方の血を濃く引いてたんだなぁ」と思ったことを覚えています。

もうひとつ、彼女が死んだ歳である「49」という数字も頭にずっと残っていました。

 

それから10年以上経ち、自分が48歳でがんが見つかったことが、何となく関係があるような気がしてなりません。

前のブログ記事でも書きましたが、自分の乳がんを教えてくれたのは、父方の祖父です(と信じています)。

従姉は49歳で亡くなってしまったけど、自分は49歳で命を得た。

従姉ももしかしたら、何かを教えてくれたのかな。

お姉ちゃん、ありがとうね。

 

 

みんなからもらった命を、本当に大切にしたいです。